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好評だったのだが‥‥今見直してもつらいな、これは。実話を織り交ぜるとなぁ‥‥。1000字小説。1998/12/18 母のことを、勝手な人だ、と思う。
祖父が亡くなってから、祖母は少しずつおかしくなっていった。
まず、話題の破綻、から始まった。壊れたレコードのように、同じことを延々と語り続けるようになった。聞き手は私だ。逃げることもできたのだが、綻んだ論理を無邪気にくりだす姿に、昔、母に内緒で玩具を買ってくれたときの笑顔が重なると、手足から自然と力が抜けてその場から動けなかった。そうこうしているうちに母が来て、「智子は受験生なのよ」と私の腕を引っ張って、部屋から連れ出す。
祖母と視線を合わせない母、小さく身をこごめる祖母、二人を見比べる私。
こんなこともあった。祖母がアイスクリームを買ってきたのだが、それを冷凍庫ではなく冷蔵庫にしまってしまった。逆に、プリンを冷凍庫に片付けられたこともあった。こんなことが何回も続いたので、母は祖母に現金を持たせなくなった。アイスクリームもプリンも私とそして母の好物だけど、食べられなくなったものは捨てるしかない。哀れな様子は、いやに強く、記憶中枢に焼き付けられている。
症状は、段々エスカレートするようになる。徘徊ってやつだ。私には学校が父には会社があるから、面倒をみるのは母の役目になる。
仕事が負担だったのか。母はなんでもないようなことで、ヒステリックに声を荒げるようになった。が、祖母は壊れても、壊れているからかもしれないけれど、穏やかだった。母の煙草の消費量が増えても、母の健康診断の結果に要再検査の文字が三つ並んでいても、穏やかで、しかし、何事にも他人の監視が必要だった。母は、ときに泣きながら、祖母の世話をした。そのときでさえ、祖母は、対岸の出来事を眺めるがごときの態度だった。
そして、母のところにパンフレットが届いた。
祖母を施設に送り出した夜、私はリビングで母のためにお茶を煎れた。リビングの灯りは、暖色の蛍光灯だ。うっとうしい、蛍光灯は寒色のほうがいい。
母は投げやりな調子でありがとうを言ったが、すぐには口を付けなかった。疲れた。そう言い捨てて、それからかなりの時間をおいて、ぽつりと喋り始めた。
「もし、私がおかしくなったら」
寂しい声だった。
「智子、すぐに施設に入れていいからね」
私は答えなかった。母の背後の鏡に写しだされた、思ったよりも小さな背中を、ただひたすらに見つめていた。
デジタル時計の数字がまたひとつ動いて、私たちを未来へ押し流した。