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時計屋だか時刻屋だか時間屋だか不明だけど、そんなかんじの店にいる。たいそう感傷的な名前をもつわりに店は中途半端に古くさい。10年まえのデザインはなつかしむにはちかすぎて、幼い日のミステイクをみせつけられたような変な居心地のわるさにさいなまれる。
そんな気持ちで、わたしは『6時』を捜している。『18時』ではなく午前の『6時』、未知なる一日への期待、不安がそろそろと霧のようにたちこめはじめるあの時間。店にはやたらたくさんの『6時』がある。狭い店内は『6時』でひしめき、デジタルやアナログといったおざなりの分類だけではおさまらないほどの数であふれかえっている。いいかえれば、それしかない。やがてわたしはひとつの『6時』をとりあげるが、夢はそこでとぎれてしまったから、どんなかたちの『6時』であったかは記憶にない。
朝起きると、目覚まし代わりにつかっている腕時計が6時をしめしている。
つうか、けっこうマジな夢。