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「ダメ。こっちに来ちゃダメ。アオヒトも!」
桜の樹のてっぺんで立ち入り禁止を少女が叫ぶ。いまにもおっこちそうに身をのりだして、体を支える片方の腕をせいいっぱいにつっぱらかして、そしてあまったもう一本の腕には、猫。ちっちゃなキジトラちゃん。少女の小脇にかかえられたその子は、ちょい窮屈そうな空間にも不満ひとつこぼすでなく、それどころか余裕のよっちゃんの表情。くわぁぁぁと髭をふるわす大あくびを一丁あがり。きみ、分かってる? 彼女が樹から落ちたら、きみも危なくなるってこと。ぼくも大地で叫ぶ。
「ぼくもダメなの?」
「だって、アオヒトもネネからチグをとりあげるつもりでしょ?」
「うん」
しまった、ついうっかりと本音を。
ネネはてひどくうらぎられたとでもいいたげに顔をくしゃくしゃにする。それから、軽妙なしぐさで桜の樹の葉のひとかたまりのなかへ隠れた。もうぼくからはなんにもみえない、風じゃないものに揺らされる枝のざわめきが聞こえる、それに雑じって、すん、すん、と不規則な呼吸音も。ネネのやつとうとう泣きだしたらしい。チグと名付けられたあの猫は、そんなネネをどうしてるのだろうか。ざらりとした舌で涙をなめとってる? それとももてあましてる?
なんだかぼくも疲れてきた。どうしてこんなことしてるんだろう。ぼくはたまたまネネのお隣さんで幼なじみで1つ年上のお兄さん的立場で、だからぼくはネネを安全に降ろしたい。それだけ。ぼくだって猫は好きだし、もしかすると最初に猫をみつけたのがネネでなくぼくだったらおなじようなことをしでかしたかもしれないとは思う。だけど、ぼくはネネよりちょっとおとなだから分かってるんだ、ネネだって。
「なぁ。ネネだって分かってるだろ。ネネんちは猫、いけないんだよ」
ネネのお母さんは重度の猫アレルギーだそうで、ネネが母親と同居するかぎり、ネネが猫を飼うのはどだい無理な話なのだ。そいでネネはまだたったの7歳。
「……うん。けど」
長い一呼吸のあと、ぽつりと返事がこぼれてくる。
「チグがかわいそうだもん。ひとりぼっちにしたくないもん」
「ネネのお母さんだってかわいそうだよ」
「……うん」
「ねぇ、いっしょに飼い主さがしてあげる。ふたりで探せば見つかるよ。ぼくたち、ときどき遊びに行ってチグをいっぱいかわいがろう、お菓子とかおもちゃとかあげよう」
「……うん」
懐柔成功か? にゃうぅん、とチグが肯定するように一鳴きする。
「でも」
ネネの弱々しい、けれどもみょうにわりきった声が、ぼくの淡い期待をうちくだく。
「やっぱりやだよぉ。チグと離れたくないよぉ」
さっきまでの嗚咽とはちがう、号泣。にゃああ、となぜかチグまでおっきい声。
「じゃ、勝手にしろ。ぼくは帰る」
ぼくもいいかげん頭に来ていた。これ以上ネネがぼくをちかづけさせないっていうんなら、ぼくのほうから離れてやる。嘘じゃない証拠に、ぼくはネネの登った樹に背中をむけた。家の方向へ大股で歩き始めた。
「ネネはずっとそこにいればいいんだ。チグだけを友だちにして。ぼくは知らない」
狼狽の空気が背中を推す。ぼくはかまわずに歩く、強い気持ちで。
「え、ちょっと待ってよアオヒト。怒った? でもねやっぱりネネはチグを……あ」
――……ぼくはあまり強くなかった、歩き出して30秒もしないうちにネネのことが気がかりになって振り返る。誓っていうが、ネネはタイミングをはかることがあまり得意でない性格だ(そういう性格だったらこんな困ったことはやらないだろう)、まるでそれがタイマーであったようにぼくがネネのいるあたりに目をやったそのとき。
ネネが墜落する。
ぼくは走る。が、まにあわない。まにあったところで、ぼくの力じゃネネを受け止めきれないに決まってる。
イヤだ、イヤ。ぼくのネネがぐしゃってつぶれちゃうなんて。けれど、ネネの体が万有の暴力にさらされているのも本当――されるがままに落ちてゆく――おねがい誰かなんとかして!
『やれやれ、ここまでかな』
と。
猫の声。『声』。にゃあとかみゅうなんてのじゃない、どこまでも深い声がことばをともなってぼくの頭を切り込む。
ネネの上着のえりをくわえたチグが、空中で一回転する。ありえない力業、しかしそれは偶発的に奇跡的な成功をおさめ……ちがう、これは奇蹟なんかではない。チグの仕業。かんぜんに打ち消された勢い。たたきつけられるはずだったネネはふわりと地上に横たわる。ぼくはネネに近づいて、彼女の無事をたしかめた。だいじょうぶ、怪我1つない。
『俺のせいで喧嘩されるのって、たまらねえんだよ』
ま、いい暇つぶしにはなったけど。チグことチグラーシャは、呆然と抱き合うぼくたちにウィンクをひとつ流すと、颯爽と歩き出した。小さな猫のくせに、うしろすがたのシルエットはやけに大きい。
『いつまでもなかよくな』
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投稿にしようと思ったけど、この出来なので没にしたもの。すまん。オチてない。『偶然』『立入禁止』『後ろ姿』