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何もかも薄桃色にけぶるような花曇りの三月、銀嶺女学院のセレモニーはつつがなくすべての行程を終了した。
祝福とそれへの感謝が光の粒となっていったいをめぐった卒業式、わたしは今日という日を一生涯忘れないでいよう。でも思い出に変わる前にやっておかなきゃいけないことがある。リミットぎりぎりになっても終わらせないといけないことがある。
「せーんせっ、邪魔します」
式の終了後。在校生であったときほとんどの放課後そうしていたように、わたしは生物準備室のドアを乱暴に蹴破った。最後の日ぐらいしとやかにしめたいと思わないではなかったけど、細かいことは気にしないでおこうよ。
それにこの部屋の主の生物教師がやってることにくらべれば、ずいぶんマシじゃないかと思う。ほら、今だって。足を踏み入れた途端むっとおしよせる濃厚な芳香に、わたしはいっしゅん目をつぶる。そろそろとまぶたを開くと、白とか赤とかピンクとか、『生物準備室』というシチュエーションではありうるはずのないあでやかな色彩の乱舞にわたしは目眩がしそうになる。
生物準備室は花、花、花、どこかで見たようなお花たちがそこかしこに彩られていた。ビーカーにも顕微鏡にも中身のない水槽にも骨格模型の花子さんにも……悪趣味だ……そして中央には、ちっちゃな女の子みたいに、マーガレットで耳朶を飾ってにやける野郎がひとり。
「先生、なにこれ?」
「卒業式でつかった花がもう用済みだっていうから、もらってきた。いいだろう、お花畑みたいで? オレ、花も恥じらう美少年ってかんじ?」
「なに言ってんです、五ヶ月もまえに三十路に突入した人が」
状況としては異常だけど、交わされる会話はテンプレートどおりのノリだ。わたしと先生はだいたいこんなふうにしてやってきた。わたし、生物が超苦手でいつも赤点すれすれで、先生はこんなだけどそんなわたしを最後まで面倒見てくれた。補習中、疲れてたらいちごミルクのキャンディまでくれたりね。それはけっこう感謝してると云いたいところだけど……わたし、いちごミルクのキャンディ嫌いだったりする。いや、先生にはちゃんと何度も云ったんだよ、どうせなら紅茶のにしてくださいって。でもけっきょく一度だって変えてくれなかったし……そういう男なんだ、こいつは。
それももう、今日で終わりなんだけど。
ぜんぶがおしまいなんだけど。
あいかわらずの花の香りに、わたしは立ち眩みの錯覚までおぼえそうになった。あぶないあぶない、そんなひまはない。
「それよか、先生。わたし卒業したんです」
「知ってるって。オレもいちおう教師だぜ? 特におまえは手間のかかるやつだったからなぁ」
「お礼はいつか出世払いで返します。それとも、なに? 未成年から取り立てる気?」
「しねーって、バカ」
あ、バカだから生物やばかったんだな。ケラケラと大口開けて笑う。失礼なやつだ。
「先生こそ、学校を去る生徒になにも贈ってあげないんですか?」
「……なるほど。おまえ、それが目当てか」
もちろん。わたしが胸をそらすと、しかたねぇな、と先生は舌を鳴らす。特別だぞ、といってマーガレットを人差し指の代わりにして、ないしょのポーズをとった。他のやつには秘密にしとけよ。
先生はご愛用のデスクに近寄った、もちろんそこも百合やかすみ草でいっぱいになっているけど、日常的に片づけの下手な人だったから普段とほとんど変わりない。それでもどこに何があるかはいちおう把握してらしく、目当てのものを発掘するのにさほどの時間はかからなかった。
「ほれ」
握らされる。小型の一個。
「えーーーっ?」
わたしが思わず不満をもらしてしまったのも、無理はないと思ってほしい。先生が寄越したそれ、いちごミルクのキャンディだったんだから。
わたしが抗議すると、先生までぶすっとふくれる。
「おまえなぁ。こっちのがよかったか?」
「人工樹脂の肝臓なんかいりません」
「じゃ、我慢しれ」
「二択がさみしすぎ!」
「わっがまま……」
これは我が儘じゃなくて正当な権利にもとづく要望だ。国語は得意だったわたしがきゃんきゃんと並べ立てると、先生は両手をあげてお手上げを示した。
「しゃあねぇ。とっておきをやる」
「やった。なんですか?」
「こっち向いて、次、上向け」
云われたとおりにした。先生を見た。先生もわたしを見た。わたしの頬に添えられた先生のてのひらからふわりとただよう甘い香りは、花のそれとはちょっと違っている。ちょっと人工的な、でもこれには酔っぱらわない、と考えて、あれそんなことしてる場合だったかしら、わたしはやらなきゃいけないことが。
……唇が、甘い。
「どうだ、いちごミルクもけっこううまいだろ。いいこと教えてもらって得したろ?」
あぁ、目の前がぐらつくのは花のせいばかりじゃない。最後の授業に間に合った安堵感から、わたしの膝がどっと崩れ落ちた。
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ベタが書きたかった。『タイムリミット』『花園』『先生』‥‥『花園』の使い方が少々強引か。で、自主没。