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円筒のかたちの強化プラスチックのケースがいくつもたちならぶ部屋を、先生がしゃれて『花園』と呼ぶ理由は、ケースのひとつひとつに『花』が収められているからだ。薬品に漬けられて特殊な処理をほどこされた『花』は、半永久的に満開のままでいられる。
気をつけて見回りなさい、と、先生の忠告に、あたしはおとなしくうなずいてみせた。
「先生はどの花がお気に入り?」
「そうだねぇ、これかな?」
先生がえらんだケースは、部屋の中心、とっておきのプレゼントを飾るようにして置いてあった。透き徹った容れ物のまんなかあたり、花はまるでモールのようにふらふらあぶなっかしく漂っている。枝ぶりは細く頼りなげで、金色がかった薄っぺらな花びらも弱々しく、なにかむしょうにこちらの庇護欲をかきたてるものがある。先生が大事に思うのも無理ないわ、と考えると、あたしのなかに庇護欲以外の感情が涌いてきた。
生まれたばかりの雛が掌のなかにあるときの、あの気持ち。きれいで……きれいだから……こわしたくなる。
いつのまにか右の手がこぶしに変わっている。衝動の望むままケースの表面にたたきつけると、中の花は一度グラリと大きく波打ち、あとはなにごともなかったかのようにどこまでもだまっていた。ケースはわずかも罅入らず、あたしのこぶしに軽い痺れが残されただけ。ケースにとりつけられたなにかの機械がたてるジィィという残響が、意地悪な蠅の羽音のようにすぐ傍で聞こえた。
「ヒカリ、何してるんだ」
色を失った顔の先生が飛んでくる。あたしは悲しくなった。先生に叱られると思って。
あたしは先生が大好きだ。生まれつき体の弱いあたしは屋外に出られる機会がほとんどなかったので、たくさんの人を知らない。小さいころからあたしの体の面倒を見てくださったお医者さんである先生は、あたしがすがることのできる数少ない大人のひとりだ。とてもとても、優しい、先生。邸にこもりきりではさみしいだろうと、先生にとっては花園に等しい研究室にまでまねいてくださったのに。
だのにあたしは、一歩まちがえれば先生の愛する花を傷つけるかもしれないような、ひどいことをしてしまった。もうおしまいだ。
「ごめんなさい、先生」
涙が出る。体が震える。立っていられない。道理のおぼつかない幼児みたいに床に足を投げ出して、痙攣じみた嗚咽を繰り返していると、ふわりと頭に何かが載せられた。それはとても馴染んだ感覚で、とても懐かしい感覚で、とてつもなく大きいものにくるまれてそのまま寝入ってしまいたくなる安堵感。先生があたしの髪を梳いてらっしゃる。
「だいじょうぶ? 手は傷まない? 見せてごらん」
「先生、どうして?」
下からそうっと見上げると、愕くことに先生は怒ってなかった。真剣な瞳ではあるけど、どこにも詰ったり咎めたりする部分がない。むしろその逆の、心の底からあたしを心配してくださるのが分かるぐらいの穏やかさがいっぱいにひろがっていた。
「ヒカリは悪い子なのに? お花をいじめたのよ、先生の大切な」
「そんなものよりヒカリのほうが大切だろう。どれ」
先生は私の右手をとる。たたきつけたところがすこし赤らんでいることを確認して、てのひらでさすってくれる。あたしがしばらく夢見心地でひたっていると、まえぶれなしに一点の熱がおしあてられた。
先生が、あたしの手の甲に、くちづけている。
「まだ信用できない? 僕は誰よりもキミを愛しく想っている」
「先生……」
「証拠を挙げようか。実はね。花を、他の誰かに見せたのはキミが初めてだ」
「ほんと?」
「うん、ヒカリは特別だから。特別に、大切だから」
あたしは先生の胸に抱きついた。大人の男の人の躯がこんなに広いだなんて知らなかった。くちびると、おなじ、熱。泣きそうに、あたたかい。あたしは先生の胸に額をおしあてて、先生の心臓を循環する血液を、健やかな体熱を、想った。
「でも、じきにキミは僕の前からいなくなる」
「……」
「僕の見立てでは、いや、僕だけじゃない。もっとえらい先生も口をそろえて、キミの命はあと一ヶ月が限度だろうっていってる」
たとえばひとつの象徴で、先生がこんなにも温かく感じられるということは、それだけあたしが冷たくなってるってことだ。
生命のタイムリミット。あたしは近い将来に、死ぬ。冷たく固く醜くなって、この世から痕跡を消す。あとにのこされるのは乾涸らびたあたしの死骸、ひとつ。
「だけど僕はそんなこと耐えられないだろう、今の美しいキミを失うなんてことは」
だから、せめて。
あの花たちとおなじように、このままのキミを残させてくれないだろうか?
どこからかカチ、カチ、カチ、と聞こえる、カッターナイフの刃をいじるときによく似た音、それとも花ばさみだったかしら。あたしはそんなことを考えながら、先生にお返しすることばをいつまでも迷っている。いつまでも。
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自分だけ気に入っててもしかたがねー。