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『先生、あたしはもう長くない気がするの。窓の下すぐのところの花壇に、小さな白い花が咲いているでしょう? あの花が枯れるころには、もうあたしは生きていないんじゃないかしら』
「‥‥そういう女の子がいるんだ」
私は、ある病院に勤める庭師である。花を愛し花に囲まれ花と語らう気楽な商売だが、病院という場所柄のせいかときおり思ってもみなかった難題に踏み込むはめになるときもある。若い医師が神妙な顔つきで、外国の小説の一場面に似た悩みを持ちかけてきたのは、春まだ浅き一日。
「その子はほんとうに危ないんですか?」
微風にもたゆとう『小さな白い花』を世話をしながら、彼に応じる。冷酷な北風にあてられて、花壇をうるおす彩りときたらこれだけだが、もうすぐ春が来る。風がまどろみ日の光の夢見る季節、そうしたら、きっと。
「たしかに、余談を許さない状況ではある。でも僕がやるせないのは、そんなことじゃない」
ほとばしる情熱とまっすぐな正義感を併せ持つ医師は、入院棟の三階を仰ぎながらうめくように云った。くだんの少女はそこで、日夜、病の絶望を嘆いているのだろうか。
「僕は‥‥僕の年齢の半分にもいかないような少女が、未来を諦めきっていることが悲しいんだ。自分で自分の年齢の限界を勝手に規定し、外には目もくれないなんて。病気はそこまで彼女の心を痛めつけている。でもやっぱり諦めたらそこでおしまいなんだ」
「で。一介の庭師である私はどうすれば?」
「……それを尋ねに来たんだ」
振り出しにもどってしまった。気持ちだけが先行するタイプらしい医師の代わりに、私は頭をひねる。
「あの小説のように、絵を描くのはちょっと無理ですね。土の上に絵を描けませんから」
「造花は?」
「いいかもしれません。専門家に頼めば立派なものをこしらえてくれることでしょう。ですが」
ちょっとしたアイディアがひらめいた。医師に耳打ちして私の思いつきを伝えると、彼は顎を撫でながら真剣な様子になる。私のことばを十分に検討したあと「やってみよう」といささか大袈裟な調子で云い放つ。
「彼女なら、きっと」
「先生、それ?」
「いつもキミが見ていた花さ」
医師の返答を聞くや、少女は窓の外を見下ろした。昨日までそこを淡く彩っていた植物の蔭は見あたらず、土を掘り返したような黒いあとを残すのみ。再び、白衣の人に視線を転ずる。手元、素焼きのひらたい器でさやぐ、白より白いような緑の鉢。
「庭師さんがね、そんなに好きならもっと近くで見たいだろうって持たせてくれたんだ。きれいだろう?」
「うん」
「ここに置いていくよ」
医師は窓辺の木枠に鉢植えを乗せた。コト、と陶器のすれる音。花はゆれる、音もなく。
「でも、ひとつ約束してくれるかい」
「なぁに?」
「キミ自身がこの花の面倒を見るんだ」
医師の、おごそかなる宣告。少女の肩にかざした掌は、まるで誓いの証のよう。
「ご両親や看護師に任せてはいけない。水をやったり肥料の量を決めたり、キミが全部ひとりでするんだ。しっかりしないと、この花は枯れる。――死ぬんだよ」
「‥‥死、ぬ」
「そう、キミが死ぬより先に」
「‥‥あたし、より先、に」
間のみを変転し、繰り返す。選択と決意はほどなく訪れた。
「あたし、がんばってみる。このお花を枯らしたくはないもの」
少女はすべて医師のいうとおりにした。幼い一生懸命をふりしぼり、指を土で汚すことも寝間着を汗で濡らすこともいとわずに。最初から最後までが初めての経験だった――同時に最後になるのだろうか?
「そうなるのかも」
だからといって放棄しては、花たちは死ぬのだ。少女の手にかかり。飢えて餓えて渇して、しかし彼らはいじらしくなにも云わずに土のひとくれと同じくなるだろう。それを思うと、己の死を考えていたときよりもうすらさむい心持ちがする。
――だけど、花にも寿命はある。短い寿命だ。茶色くくすんでしぼみ、いつしかそれも消えた。だけど少女は生きていた。生きて、何かを受け止めていた。
「あぁ、そうか」
花の全部が消えたわけではない。
彼女の掌には、黒い粒子の群体。花の種。
「あたしにはまだこれがある」
生きてさえいれば。
生きてさえいれば、芽吹かせることも咲かせることも実らせることも、できる。生きていなければ、できない。
そして、たった今、生きている彼女の掌には生きている種がある。
それが、はじまり。何度でもはじめることのできる、はじまりだ。
「彼女、立派にやりましたよ」
「それじゃ、今度、うちの花壇を直接見に来るよう云ってあげてください。もうすぐ春ですから」
その日にはきっと、鳥が啼き、虫が戯れ、たくさんの花が咲く。
私は病院の庭師である。花を愛し花に囲まれ花と語らう気楽な商売だ。だからひとつの季節の訪れをいつも心から待ちわびている。今年はそれに、ある少女の来訪の予定がくわわるのだ。悪くない、と思う。
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投稿用に書いたのだが、うっかり提出しそこねた。『タイムリミット』『花園』『先生』。