.

にげみち。   「檸檬」の気持ち

--_--_-- .--
スポンサー広告  
edit
2005_06_09 .Thu
[日日]捨拾語  
Com 0  TB 0  edit
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
あぶないなぁ。あぶないなぁ。まさに梶井基次郎の「檸檬」のような心調におちいってしまった。

いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪(いたたま)らずさせるのだ。


風化した漆喰の壁のような心持ち。かさかさに乾いた顔料がぽろぽろとはがれおちるように、わたしを色づけていたなにかがどこかへ行ってしまう。飛ばされてしまう。風風吹くな。拾い集めるまで待ってくれ。

時どき私はそんな路を歩きながら、ふと、そこが京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎とか――そのような市へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。私は、できることなら京都から逃げ出して誰一人知らないような市へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団(ふとん)。匂(にお)いのいい蚊帳(かや)と糊(のり)のよくきいた浴衣(ゆかた)。そこで一月ほど何も思わず横になりたい。希(ねが)わくはここがいつの間にかその市になっているのだったら。――錯覚がようやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。なんのことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。


むしろ京都に行きたくなっている。あの、観光ずれした町。渋いというよりはきらきらした和風。修学旅行にわくつく子ども。ジャパンにはりきる外人さん。そういうものを見てきたい。この町でもじゅうぶん見られるのだけど。

機械になりたい。なくしてしまうくらいならこのまんまで凍らせたい。すこやかにさわやかにしとやかに。春の桜のような柔和、夏の水のような清冽、秋の葉のような絢爛、冬の雪のような鋭利。ぜんぶ落っことしてしまいそう。いやだいやだ。なんとしてでも止めてやる。

‥‥次こそ、小説を。

Comment


.

.
.

TrackBack http://shamrock.blog5.fc2.com/tb.php/58-c95ab735

.
弱音 ≪ ≫ 08.散らかった部屋
.  ▲ .
Designed by Daniel Corporation. allrights renounced