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にげみち。

「ichiei」の雑文置き場。最近、短歌に凝ってます。

2013/09/30 一首と一句 

題詠blog2013もいいかげん本腰入れねば。わりと書けてはいるがトラックバックがめんどくさいってのが、もうなんか駄目で、つまるところ自分は駄目人間です。

蒲団より片手を出して苦しみを表現しておれば母に踏まれつ/花山周子『屋上の人屋上の鳥』
小さい頃は苦しいごっこをしてたようにおもう、自分も。怖い話を聞きたがるのとおなじで、死ぬほどの苦しみを安全なところから味わってみたかった。別にそれは冒涜じゃあないんだよなあ。
この歌とは直接関係ないが、お母様の「学校へいじめられに行くおみな子の髪きっちりと編みやる今朝も/花山多佳子『草舟』」はなかなか強烈ですよな。それに対する花山周子氏のコメントもふくめて。



やまびこのゐて立ちさりし猿茸(飯田蛇笏)
やまびこの擬人法……でいいのかな、これ。やまびこはただ通り過ぎるだけのものかと思ってたけど、この句だとほんの一瞬かも知れないけれど、滞在している。そのあとに猿茸、ましらたけの本意はなんだろうな。イメージとしては他の植物よりもどでんとしている、でも、ちょっとまぬけなかんじ。楽器でいえばファゴット的な(ファゴット好きだ)。つまり、存在感? 圧倒的ではない、かといって無視できるほど小さくもない、厳つい静かな重量があとにはのこされている。

2013/09/29 一首と一句 

手抜きです。いつものこった。

象来たる夜半とおもへや白萩の垂るるいづこも牙のにほいす /水原紫苑『うたうら』
【夜半】は【よは】とルビが打ってある。「象」と「白萩」の組み合わせは最強、そしてまた最後に「牙のにほいす」ときたものだ。幻想的な仏教の風景(御釈迦様の誕生っぽい)をおもいださせる。でも「牙のにほい」ってどんなものだろ? けっしていい匂いではない気がする。獣の匂い、でも、肉食ではない匂い。普通の考えであれなんですが、動物園の匂いかなあ。だけど、あれは生命の匂いだ。植物とちがって生きてゆく動物はどっちかというと臭気にまみれている。でもそこに、白萩が垂れてくる。そこにほんのすこしの救いがある、救いか? どっちにせよ、それだけではなくしてくれるんだ。




哀れ蚊やねむりぐすりも気休めに(石川桂郎)
蚊とかあいつらけっこう秋でもうるせええええええぜってい哀れじゃねええええええ人が寝ようとしている耳元でぶんぶんうるせええええええええええしかも尻を食うんじゃねええええええええええ。すいません、いろいろ下品で失礼いたしました。しかし、まじでねむりぐすりも気休めにしかなりませんよ。でも本当はねむりぐすりが欲しいのは蚊のほうかもしれない。秋になったんだからもう寝かせろよってことかもしれない。

2013/09/28 一首と一句 

遅刻しても焦らずいこうや。

にこやかに酒煮ることが女らしきつとめかわれにさびしき夕ぐれ/若山喜志子『無花果』
若山喜志子は牧水の奥さん。という知識を前提にせずとも、ちょっとどきっとくる。フェミニスト論争はともかくとして(すまん苦手だ)「女らしくありたい」と「旦那のために感情を殺して熱燗を付ける」ことが果たして等号でむすべるものやら。夕ぐれのさびしさはこの場合救いかもしれない。なにか寂しいのは私だけではないということで。




彼岸花傷つきやすき空の紺(菖蒲あや)
ああ、なるほど。山口誓子の句「つきぬけて天上の紺曼珠沙華」を踏まえているわけか。ぱっと出てこなかったぜ情けない。彼岸花はつきぬける。しかし、案外と空はかよわい。そういうことか。でも実は紺色の空ってのがよくわかってなかったりする。紺……じゃない気がするなあ、特に秋の空は。俳句特有のあってもいい嘘なのか。

012:わずか(ichiei) 

椀の底わずかにのこる野菜クズ貪り食って明日に備える

011:習(ichiei) 

あいつから習った酒の飲み方を思い返して一晩明かす

010:賞(ichiei) 

壇上の賞状授与など茶番だと僕等は花を投げ棄てる

009:テーブル(ichiei) 

テーブルに萎びたダリアを飾り付け冷めた紅茶を嗜むある日

008:瞬(ichiei) 

夏の日に濡れた瞳で瞬けば七つの欠片となる地球

007:別(ichiei) 

知恵の輪のふたつの銀は離されてぼくらは別の生き物なんだ

一首と一句 2013/09/27 

地球儀に唇あてているこのあたり白鯨はひと知れず死にしか /大滝和子『人類のヴァイオリン』
エロい。なんて軽い言葉でまとめようとしたら鑑賞の練習にならんな。北の海だろうなという気がする、特に理由はないが。それともこの「白鯨」はもっと具体的にハーマン・メルヴィルの小説の白鯨だろうか。あれは「人知れず」ってもんじゃない気もするが(小説としてはあまりに有名すぎる)……でも、後者の解釈のが鎮魂っぽいんだよなあ。モービィ・ディックは殺されたわけだし。彼等の冒険の本当のところはきっと誰も知らないという意味での「人知れず」かもしれない。で、歌の「地球儀」は下手にアンティークじゃないほうがいい。ちゃんと海が青く塗られたもののほうが鯨がいそう、と思います。




こんにやくは水の重さよ秋澄みぬ(飯田 晴)
調理中の場面かな? 蒟蒻をちぎっているか或いはひねり蒟蒻を作っているか。ちょっとひねって手作り蒟蒻(芋を摺って成形してる最中)ってのもありかな。とにかく蒟蒻をせっせと食べられる場面にしたてているところ。で、台所からみえる空は青かった。中年の女性のたくましい(これは褒め言葉。労働のたまものはうつくしい)裸の腕がみえてきそうだ。